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伊豆大島・まっしろなブログ

伊豆大島に本社をつくり、地域おこしの会社をやっています。ぜひ伊豆大島へ!

若者の「機会均等」・「平等」と、20歳以上の選挙権との関係

前回は、奨学金の返済に困っている人がデモを起こしたニュースを紹介して、

  • 現在の奨学金制度は、学生のためではなく、あくまで国が国力(GDP)を維持・再生産するための仕組みとしてのみ存在している(ようにしか感じられない)。
  • 保証人がいなくても奨学金を借りられる機会を提供している日本国際教育支援協会は、公益団体であるにもかかわらず実態は公益とはかけ離れている。
  • 教育の「機会均等」がどこまで実現されるべきかは、政治に関わってくる問題である。

いったい、誰のためにお金を借りていたのだろう?

といったことを書きました。今回はこれに続く内容です。

前回と同じく、ちょっと長めの文章です。次からはちゃんとコンパクトにまとめます!!3分の1くらいに!

子供に対する支援は現状が妥当か?

今回のデモを起こした学生や社会人の怒りの根底にあるのは、決して「奨学金を返したくない」ということではなく、自分の人生に対する不公平感、劣等感なのではないでしょうか。自分が主体的に望んだわけではないこの世のランダムな場所に生を受け、気が付いたら家庭には多くのお金はなかった、あるいは借金があった。その運命の中で彼らなりに精一杯もがいてみたけれど、もうどうしようもない。


もうガマンできなくなってデモを起こす。しかしその光景は他の人に「奨学金で大学にまで行かせてもらっているのだから感謝しろ」「返すのが嫌だったら給付の奨学金を申請すればいいだろ」と受け取られてしまいます。


絶対に議論を避けて通れないものとして、「親のやる気」と「子供にとっての平等」の問題があると思います。親は、将来の子供が満足に生きられるように多くのお金を稼ごうとします。それが、自分の幸せでもあり、同時に子供の幸せだと思うからです(もちろん一例として)。しかし、子供は親を選べない以上、生まれた瞬間から経済的な格差が存在します。これは事実として、100%公平ではないはずです。


「アメリカのアイスホッケーの選手の中に、学年の前半に生まれた人が多い」という話は有名です。小さいころの数か月の成長の差は、同時に子供自身のやる気を削いでしまうことと相まって、将来的には大きな差となってしまいます。経済的にも同じことが言えるはずで、子供のころに例えば習い事などの養育費を多くかけている家庭の子供と、そうでない子供では小学校、中学校、高校と進むにしたがって学力に大きな差が出てくると思いますし、あるいは、進路そのものにも大きな差が生まれてくるかもしれません。


経済的な問題は、同時に子供の能力の差も発生させているかもしれないわけです。今回のデモの内容からはそれますが、こうやって、自分が気づいた時にはすでに生じていたかもしれない能力の差は果たして公平でしょうか。給付制の奨学金の恩恵を受けられなかった(行動を起こせなかった・学力が足りなかった)人は、社会的に淘汰されるべきなのか。それは100%本人の責に帰していいものなのでしょうか。「4年間の学費を稼いでから学校にいけばいい」と考える人もいますが、そのお金を稼ぐためにかかる時間はアンフェアではないですか。その時間は取り戻せるものですか?


こういったことを言うと、結局全てを外部の環境のせいにすればよいと聞こえるかもしれません。でも、逆に、今の自分に満足していて、その「成功」が1から100まで自分の努力だった答える人はどのくらいいるでしょうか。「自分は恵まれていたな」「ラッキーだった」「習い事や、私立の学校に入れてくれた両親に感謝」こんなことを思ったことのない人がいったいいくらいるでしょうか。


もし仮に父親がギャンブルで数百万の借金を作ったとしたら、僕は耐えられずに発狂します。確実に。


だた、極端すぎる話


生まれてくる子供の平等を優先して子育てにかかる費用が全て一律に国が負担するとしたら、それは親が子供のためを思ってたくさん働こうとするモチベーションを奪ってしまいます
。それでは国にとってもうれしいことではありません。


そこで、その両者のバランスをうまく保つために子育て手当や、義務教育の無償化などがあるわけです。ものすごく簡単な数字なのですが、


1人の子供を育てるために必要なお金は1500万円から3000万円と言われてていて、養育費を抑えたり、公立の学校に通わせ続けることでその額は1000万円程度にまで下げることができるとされています。つまり、これをそのままとらえると、1000万円と3000円との差である約2000万円が、家庭によって教育にかけられる金額の違いになるわけです。私立の学校や、習い事に通わせたり、おこづかいを多くあげたり(?)。


一方、その差を埋めるための子ども手当(児童手当)は、年齢や何番目の子供かによって額が変動するものの、支給が終了する中学3年生までの合計はおおよそ200万円程度です。高校の授業料の支援は年収や地域によるばらつきが大きいものの、3年間で多く見積もって100万円としておきます。すると、合計300万円。大学の給付制の奨学金など、枠の絶対数が少ないものは除外すると、残る大きな支援は小中学校の無償の義務教育です。


家庭によって教育にかけられるお金の差が最大で約2000万円、それを埋め合わせるものが300万円の支援と義務教育としての小中学校の9年間。あと、あるとすれば生活保護といったところでしょうか。生活保護には母子家庭などに対する加算額や、教育扶助の仕組みが用意されています。


はたしてこの状態が親・子供の両者にとって本当に幸せなポイントなのか。親にとって合理的か。子供にとって「平等」か、「機会均等」か。


何が正解かなんて誰にも分かりません、ただ言えるのは、この現状を不満に思ってデモを起こす人がいる、ということと、投票率が100%ではない以上(さらには投票が20歳からしかできないことも含めて)、現状とは違う最適な解が見つかるかもしれない、ということです。

民主主義を実現する選挙の仕組みは何?

とにもかくにも、日本はどうやら民主主義の国である以上、ものごとを「正しい」道に進めるには投票率を上げることが不可欠です。投票に行く人は、投票をすることによって得られる経済的、義務感や満足感などの心理的なメリットが、投票をしないことによって得られるメリット(投票に行く手間や時間でできること)を上回っていて、投票をしない人はそれが逆だということ、ただそれだけなのでしょう。


選挙に行くいかないの選択によって起こることは、公害の発生に似ている面があると思っていて、つまり、個々人(&企業)が与えられた環境の中で自分にとって最適な選択をしているにもかかわらず、社会全体で考えてみると、結果は必ずしも「望まれる」状態になるとは限らないということです。


何が言いたいかというと、「若者」に関してです。先日、東北大学の研究グループがこのような発表をしました。

若年世代(ここでは20歳から49歳まで)の投票率が低下するにしたがって、将来の国民負担となる国の借金が増加し、社会保障支出も若年世代よりも高齢世代(ここでは50歳以上)の方に多く配分され、若年世代に不利となっていたという関係が確認されました。
「若年世代は1%の投票棄権でおよそ13万5千円の損!?」-年齢別投票率の違いが世代間の格差を拡大している可能性-

「若者」が投票に行くことで、彼らにとっては新たな利益が得られるわけですから、今の世の中の状態は「最適」ではないということです。各政党のマニフェストを眺めていても、教育や子育ての項目は最後に近いものが多くあります。


投票に行かずに現状に不満を持っている人たちを、「投票にも行っていないのに政治に口出しする権利はない」と片づけてしまうのは、失礼かもしれませんが、価値観の押し付けだと思います。彼らも彼らの損得勘定の中で意思決定をしたのであるし、投票にいかないというのも立派な「一票」です(白紙投票をに比べると、意味合いは違ってくるかもしれませんが)。


投票することが権利だか義務だか何なのかは知りませんが、そんなことどちらでも大差ないのではと思います。「自分」が「自分」のために行動を起こすか起こさないかを決める。世の中が変わるかもしれないというちっぽけな希望より、その1時間でテレビを見る方が幸せに感じる人だっているわけです。この程度の時間さえ捧げようと思われない国、政治家って……どうでしょう。


ただ、国の立場で考えると、全ての人に投票をしてもらうことは義務であると思います。投票してくれる人に対してのみ恵まれる仕組みを作る。投票しない人には見向きもぜず、その人の責任にする。こんな”強者政治”が本当の政治と言えるでしょうか。


公害に個々の力で対処するには限界があるため、国として規制をかけて改善を図るのと同様、選挙についても、社会全体として「望まれる」状態でない以上、「最適」な状態にもって行くための「強制的な」対策を立てる必要があると思います。


もちろん、投票そのものを義務として法律を作るの一つの手ですが、初めて投票に行った人に奨励金を与えたり、税金を一部控除控除したり。一部のお店では「選挙割」のようなものがありますが、そういったものではやはり効果が薄い気がします。このあたりの制度設計をどのようにしたら投票率が上がるかというのは、先の東北大学のような試算ができる以上、そう難しものではないはずです。それは政治家の給与体系に関しても同様です。どうしたら目先の利益だけでなく長期的な視野を持って政治活動ができるようなインセンティブを提供できるか。


それでも投票率を上げることが難しいのであれば、「年代別選挙区制」を次善の策として、今すぐにでも実施するべきです。ただ単に「投票率を上げよう」となれば、若者の新規票を上回るように、若者でない世代からさらに票を集めようと、政策が今以上に「強烈」になってしまう恐れがあります。しかし、年代別選挙区制であれば、そのような可能性は低くなります。

なぜ子供は投票できない?


「年代別選挙区制」に関連して、現状の20歳以上の人にのみ認められている選挙権についても触れておかなければと思います。


0歳から19歳までには選挙権が認められていないということは、そのまま、0歳から19歳の人の利益になるような意見が採用されづらいということを意味するはずです。仮に夫婦と未成年の一人っ子をもつ家庭であれば、子供に嬉しい政策に入るはずの投票数が3票ではなく2票になってしまいます。すると、子どもを持たない人や、子育てをするのにすでに十分な資金をもった人の意見が採用される可能性があるわけです。


総体として見れば、恵まれた家庭で育った人は恵まれ、その一方で貧困は貧困を生んでいるのかもしれません。


「一票の格差」問題があります。これが憲法に反するかどうかを議論することには意義があると思います。しかし、20歳未満が選挙権を持たないことに関して大きく取り上げられることは少なめです。それは彼ら20歳未満の子供が頻繁に政治に参加しているわけではないから。「政治力」を持っていないから。じゃあ、国が、勉強や遊びで忙しい子供を無視していいのかというと、そうではないはずです。


やっぱり、「政治・経済」をきちんと早い段階で義務教育でもって教えるべきだと思います。「あなたの意見に国は耳を傾けてくれることになっているんだよ」と。


もちろん、「0歳にも投票権を!」といっても無理があるでしょうから、父親や母親なりに追加の1票を与えるのが現実的でしょう。
と、下書きし終えた段階で、東大の井堀さんの「世代別選挙区制」と「未成年の選挙権」についての意見の記事あったのでのせておきます。本文もこれに合わせて少し修正しました。

選挙のたびに実感させられるのは、この国の政治を動かしているのは「老人」だということだ。
……(中略)……
この国には「老人の一票の価値を奪う改革」が必要ではないか。井堀利宏・東京大学大学院教授が「世代別選挙区制」を提唱する。
東大大学院教授が「世代別選挙区制」提唱 0歳児にも選挙権

井堀さん、61歳です。選挙を通じて利益を受けている世代の一人である方ご本人がこうやって現状に異を唱えることができるということは、本当に尊敬します。利益を手放すのには相当のパワーが必要なはずです。


今回の参院選の「ネット選挙」は、無意味過ぎるくらい無意味だと思っていますが、投票に行くためのハードルを下げるという意味での「ネット投票」に、もしかしたらつながるかもしれないという期待を持たせてくれました。


システムの問題であったり、費用の問題があったりだと言う方も多くいますが、そんな言い訳は隠れ蓑であるように思います。