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伊豆大島・まっしろなブログ

伊豆大島に本社をつくり、地域おこしの会社をやっています。ぜひ伊豆大島へ!

とっても理不尽な「お金」の行く末

少し文章が長めなので、忙しい方は時間のある時にでも!


いま、世界の各地で法定通貨(日本だったら円)だけでなく、「地域通貨」というものが使われています。全世界では3000種類以上、特にヨーロッパだけでその種類は1000~2000に上り、日本でもその数は正確には分かっていないものの、少なくとも百種類以上の地域通貨が流通していると言われています。
身近なところだと、東京の高田馬場周辺で「アトム通貨」なんてのもあったりします。イラストもかわいいし、記念に1枚持っておきたいですね☆
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いろいろと調べてみると、地域通貨について、ある程度かんたんな言葉でまとめてあるサイトがほとんどなかったので、今回は、地域通貨の説明&意義、そして、通貨と利子について説明したいと思います。

地域通貨が使われる目的

地域通貨というのはその名の通り、一定の地域でしか使われない(使えないと決められた)通貨のことで、誰でも・独自に発行することができます。地域通貨を発行する目的は他にもあるのですが、ここでは2つ

  1. 地域経済を活性化させる
  2. ソーシャルキャピタルを蓄積させる

というものをピックアップします。

地域の中にできるたけお金を貯め込む

一つ目の「地域経済を活性化させる」というのは、いわば「お金の囲い込み」に近い概念で、その地域でしか使えない地域通貨を流通させることで、お金が自分たちの地域の外に出るのを食い止めることを意味しています。日本全体で円だけを使用していると、高齢化が進んだ地域など、生産力(競争力)が落ちてしまった地域の人たちは、どうしてもモノを外から買うばかりで、モノを買うためのお金が他の地域に出ていってしまいます。「お金が外の地域に出る」というのは、文字通り他の地域からモノを買うことだけでなく、例えば、その地域内にある店舗でも、他の地域(例えば東京)に本社がある会社の支店からモノを買った場合も含めることができるでしょう。


その地域にお金があろうが、なかろうが関係なく、商店街にはモノがあふれています。利用されないサービスもあふれています。でも「経済」は不思議なもので、モノの売買の間に割って入る「お金」の多少でモノの流通の速度が変わってきてしまいます。今回はできるだけ噛み砕いた説明にしたいので、分かる人にはつまらないでしょうが、簡単な例をあげてみます。


ある地域に10人の人がいて、それぞれの人が100円相当くらいのお菓子(とりあえずなんでもいい)を売っていたとします。ここで、10人全員が100円を手元に持っている状況を想定します。そして、人々は手元にもしお金があればそのお金を1日で全て使い切ってしまうことにしましょう。ということで…
・1日目……住民は自分以外の人の中から好きなところを選んでお菓子を買います。売れたお菓子の総額は10人×100円で1000円。何も売れなかった人もいるかもしれないし、300円くらい売り上げた人もいるかもしれません。
・2日目……昨日の売上が0円だった人は残念ながら今日は何も買えません。その代わり、昨日300円売上げた人はその全額をその日に使い果たす設定なので、結局のところ、この日も売れたお菓子の総額は1000円。毎日これが続いていきます。


次に、10人という設定は変わらないものの、その地域の中にあるお金が先ほどの1000円に対して100円だけの場合を想定します。つまり、10人のうち、1人しかお金をもっていないということです。
・1日目……お金を持っている人は残りの9人の中から好きなところを選んでお菓子を買います。地域全体での売り上げは100円
・2日目……昨日にお菓子を買ってもらった人に100円が移動するので、次はその人が好きな人からお菓子を買います。ということでこの日も地域全体の売り上げは100円。こんな感じが毎日続きます。
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地域全体にある品物の量は全く変わらないのに、その地域に流通しているお金の量によって、全く同じ品物がたくさん売れたり、少ししか売れなかったりするわけです。経済の考え方はたくさんあるけれど、「お金の量が変わると経済活動も変わる」というのがそのうちの一つの考え方です。

そこで、お金が外へ外へと流れて歯止めが利かなくなってしまっている地域の救世主になるのが「地域通貨」です。もちろん手元の円をすべて地域通貨に交換するわけではありませんが、一部のお金を地域通貨に交換することによって、嫌でもその地域でお買い物をせざるを得なくなります。そうすることで、今よりはお金が外部に流出する速度が遅くなる可能性が出てくるのです。その地域のモノを買うということは、「地産地消」を押し進めることにもなります。

身近な人とのつながり

つぎは、二つ目の「ソーシャルキャピタルを蓄積させる」ということについて。「ソーシャルキャピタル」というのは、「人間関係資本」と呼ばれているもので、人々の信頼関係や親密さを表す概念で、NPOの分野では特に多く使われている言葉になります。地域通貨を使うことはつまり、自分の近所で買い物をするということです。そうすれば、ご近所付き合いも増えるでしょうし、なによりも、「自分が売っている商品を使ってくれている人が身近にいる」という実感が湧くのではないでしょうか。

地域通貨というと何か特別なもののような感じもしますが、実は日本でも明治時代までは統一された通貨はなく、地域ごとに異なる通貨が流通していました。ただ、これはあくまで実務上の都合であって、上記2つの理由を明確に意識していたかというと、そうではないと思います。


ところで、地域通貨を利用するということは、その分だけ法定通貨である円の手持ちが少なくなるということにもなります。その地域では生産することができない商品やサービスを買う余力が少なくなってしまうわけです。さらには、全く同じ商品でも、地元の商店街での値段より、郊外の大型ショッピングセンターでの値段の方が低いことだってあるかもしれません。こういったケースにおいては地域通貨の存在感は薄まるかもしれません。それでは、そのデメリットを何が補うかというと、先ほどの2つの理由になるのです。「地域通貨を利用していればある程度の収入が継続して見込める」「ご近所の人が買い物に来てくれる」というメリットがしっかりと住民に伝われば、地域通貨がこれまで以上に広がる可能性があるかもしれません。
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「年齢通貨」や「思想通貨」の可能性

個人的に勝手に面白いと想像していることがあって、どういうことかというと、この「地域通貨」は、文字通り地域だけを限定するだけでなく、年齢や思想に対しても適用しうると思うんです。つまり「年齢通貨」や「思想通貨」というものが生まれる可能性だってあるわけです。「年齢通貨」であれば、例えば、若者のお金が年配に流れていき、そこでお金の流れが鈍くなっていると感じている人たちが団結して、30歳までの人たちだけが使える通貨を作ることも可能ですし、「思想通貨」であれば、環境問題にすすんで取り組んでいる会社や環境問題に関心のある人たちの中だけで使える通貨だって作れるかもしれません。これによって、知らず知らずのうちに自分が良しとしない会社や団体にお金が流れることを阻止できるかもしれません。事務的には乗り越えなければならないポイントは山ほどあるのでしょうが、原理的には不可能ではないと思います。今、モノの品質について様々な規格や認証があるわけですが、そのグループごとに独自の通貨を作っていけばいいわけです。あるいは、独自の通貨を作るにあたって、その基準を満たす会社をネットで公募することだって可能かもしれません。どちらにせよ、公正な認証のシステムがない限りは機能しないことは確かです。さらに、このような特殊な通貨を使っている状態から特定の人や団体が何らかの理由で脱退した場合に、「村八分」のような扱いを受けないかということも怖い点ではあります。



地域通貨は使わないと価値が減る?

地域通貨の一つ目の目的として「地域経済を活性化させる」ということを挙げましたが、これを促進させる特徴が地域通貨にはあります。「利子が付かない、あるいは、価値が減っていく」ということです。細かい話は省略しますが、内容はかんたんで、例えば100円のお金があったとして、それが来週には98円分の価値に減って、さらにその次の週にはまた2円価値が下がって、96円分の商品しか買えなくなるといった具合です。お金を持っている人は「ずっとお金手元に貯めこんでいては価値が減っていってしまうので、できるだけ早く使おう」と考え、その結果、たくさんのモノが売り買いされます。実際にこの考え方を用いた通貨によって1930年代に不況に陥っていたオーストラリアの経済が回復したという実績もあります。

次は、話を「お金の貸し借りと利子」に移したいと思います。

「お金には2種類ある」

すでに亡くなってしまいましたが、ドイツの有名な児童文学作家にミヒャエル・エンデという方がいました。そのエンデが亡くなる前に受けたインタビューなどの内容を基に刊行された『エンデの遺言』(NHK出版)という書籍があります。そこにはこんなことが書かれています。「お金はモノを買う(交換)するために生まれた」「モノを買うためのお金と、銀行(&証券取引所)で取引されるお金は別の種類だ」と。


最初に「お金」というものが考え出されたとき、お金はモノとモノを交換するときに、その間を媒介するものでしかなかった。でも、価値が変わらない、つまり、お金の価値は下がらないと規定した(価値が変わらないと決めた方が都合がよかったし、理にかなっていた)ことによってお金の貸し借りに利子ができた。つまり、エンデが言いたかったのは「利子というものは、お金の本来の目的からそれたものであって、さらにその利子が貧富の差を大きくしている」ということです。お金をたくさん持つ人が出てくると、その人はすぐには手持ちのお金を全て使うことはできません。多くは利子を求めて銀行に預けられて、決してモノを買うために市場に出回るわけではありません。ずいぶん前に書いた、「10人がそれぞれ100円のお菓子を売っている」例でいうと、一人が800円くらいを持っていて、老後が心配なために、何があっても手元に600円は残しておくようなことが起こります。かんたんのために銀行は誰にも貸し出さないことにしておきましょう。とすると、10人が持っているお金の合計は1000円なのだけど、実際に地域で出回っているお金は400円という悲惨な状況になるわけです。


仮に「利子」というものが貧富の差を大きくしているのだとすると、モノの交換をスムーズにするために考えられたお金が結果的には貧富の差を大きくし、実際的に市場に流れるお金の量が減る(多くの人にお金が行きわたらない)ことでモノの交換を滞らせている。という何とも皮肉な結末になっているわけです。

「お金」という仕組みによって恩恵を受けているのは、ほんの一握りの人たちだけです。いったい、、、、「お金」って何なのでしょう?

銀行の「儲けすぎ」と人間の自信

「仮に『利子』というものが貧富の差を大きくしているのだとすると」という仮定は、おそらく間違いなくて、その理由の内の一つはお金を借りる人の「自分に対する過度な期待」にあると思っています。お金を借りる側は、「きっとうまくいく」「将来になればどうにかなる」と、自分の力を過信して、必要以上の額を・到底返せないような利率で求めるわけです。お金を貸す側は、それにつけこむ。どうしても人間は自分を信じたくなるものです。でも、現実はそう上手くいかない。その結果、お金を返せない人はますます貧しくなり、豊かな人との差が広がっていく。過度な利子は、貸す側・借りる側の双方に責任があるとも考えられるわけです。


「地域通貨の大きな特徴は、利子がないこと、あるいは価値が減っていくこと」と一般的には解釈されていますが、それは地域通貨だけに生まれる特徴ではないと思います。地域通貨はあくまで特定の地域でしか使えないから地域通貨なのであって、利子が付かないというのは経済を発展させるために後から加えられた機能に過ぎません。とすれば、法定通貨である「円」に関しても、経済発展を目指す選択肢の一つに「価値が減っていく」というものがあってもいいように思えます。こうなると「財産税」の議論に自ずと近づいてきますね。

マイナスの利子で銀行はなくなるか?

さて、仮に円の価値が減っていく、つまり、マイナスの利子をもつものになったと仮定すると、銀行はなくなってしまうのかというと、そうではありません。単純な話で、銀行にお金を預けた方が「賢明」だからです。例えば、100円の価値が1年後に95円になる世の中になったとしたら、銀行は「1年後以降に98円を返してね」という契約が結ばれることになります。大事なのは、「必ず1年間はお金を返してはいけない」という条件が付くことです。そうすれば、銀行側は素直にお金を持っていた場合にくらべて3円得をしたことになります。つまり、お金の性質がどうなろうと、「貸出し」という行動は実質的に利子を生み出す運命にあります。


加えて、お金の価値が減っていくとして貧富の差が劇的に縮まるかと言われると、そこまでではないのかなぁ~とも思います。お金持ちの人はこれまで通り、どうにか知恵を絞ってお金を吸い上げる方法を考えるだろうし、銀行だったり証券のシステムはこれまで通り「強者」と「弱者」を生みづづけるはずで、たまには「弱者」の中からポンと上り詰める人もいるでしょうが、それはごく一握りでしょう。ただ、今の世の中に比べれば「頑張ればどうにかなるかもしれない」と少しは希望が持てるようになるかもしれません。

少なくとも今のお金のシステムに対して言えるのは、「みんなが一丸となって世の中を良くしていこう」という気持ちが生まれづらいモノであるということです。
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2050年の日本のコミュニティー

最後になりますが、環境省は『地球温暖化に係る中長期ロードマップ』の中で、2050年にあるべき地域の姿を提示しています。それは、今のように住宅や駅や商店・公共施設が分散しているのではなく、それらがコンパクトにまとまったもので、どこへでも歩いていくことができて、街の全てが活気にあふれるような状態です。これは環境問題や高齢化に適応する街づくりになるのでしょう。そして、こんな地域のことを環境省は、「昔ながらのコミュニティー」と呼んでいます。

もしかすると、未来の活気あふれる地域のコミュニティーの中心にあるのは、明治まであった地域通貨とは大きく異なる、新しい「地域通貨」なのかもしれません。