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『伊豆の踊子』の舞台!伊豆大島の波浮の港を紹介!

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波浮について

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波浮は伊豆大島の南部に位置しており、住所としては「波浮港」と表示されるノスタルジックな雰囲気漂う港町。江戸末期から「風待ちの港」として栄え、戦前から昭和30年代ごろの最盛期には、風待ちをする漁船が港に幾重にも連なっていたほどです。往時はこのちいさな港町に漁船の乗組員や観光客など多くの人が訪れ賑わいを見せました。

現在では、かつての繁栄はなくなってしまい、静かな佇まいを見せていますが、情緒ある街並みと美しい海や山などの景色が楽しめます。また、野口雨情作詞・中山晋平作曲の『波浮の港』や都はるみさんのヒット曲『アンコ椿は恋の花』などでもよく知られる観光名所で、明治~昭和初期にかけて与謝野鉄幹、与謝野昌子、大町桂月、林芙美子、幸田露伴、土田耕平など様々な文人墨客が訪れたことでも知られています。近年、波浮港を愛する人たちにより、文学碑が随所に建てられ、「文学の散歩道」が造られました。

波浮港はもともとは火口湖だったのですが、江戸時代の津波と地震により海と繋がりました。もともとは湖だったこともあり、美しい円形の入江が特徴です。

日頃の喧騒を忘れて、時間を気にせずのんびりと過ごすのにピッタリのスポットだと言えるでしょう。くさややコロッケ、地魚にたい焼きなど様々な名物グルメもあり、食べ歩きを楽しむのにもピッタリです。

伊豆の踊子

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「伊豆の踊り子」はノーベル文学賞作家である川端康成の短編小説。19歳の時に伊豆を旅した実体験を元にした、川端の初期の代表作なのです。

孤児根性からくる憂鬱に耐え切れなくなった主人公は、その孤独から逃れるために伊豆へ一人旅にでます。道中、湯ヶ島で旅芸人一座と出会い、踊り子の少女に淡い恋をした主人公は共に旅をすることになるというストーリーです。

孤児根性に歪んでいた青年の心が少女によって解きほぐされていく様子と、二人の悲しい別れが書かれたこの作品はこれまでに6回も映画化されるなど、日本人に深く愛されている小説なのです。

「伊豆の踊子」の舞台は伊豆半島なのですが、旅芸人一座の出身地が波浮港だと言われています。波浮港には踊り子のモデルとなった女性が踊っていたという旧港屋旅館が、資料館という形で現在も残されています。建物の造りや雰囲気をそのまま残したこの「踊り子の里資料館」の館内には、当時の様子を再現するために人形が飾られています。2階の演芸場ではボタンを押すと音楽が流れ人形が踊り出す仕組みになっており、まるでタイムスリップしたかのような体験ができるのです。

東京梵天

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波浮港近く、踊り子坂を登り切った辺りにあるカフェ&ゲストハウス。有名なたい焼きは、王道のつぶあんにカスタードクリーム、チョコなどの甘味はもちろんハムチーズマヨや酵素玄米トマトリゾットといった、食事系のたい焼きまであるんです。

もちろん、種類の豊富さが珍しいだけではなく、島の塩、大島牛乳、地玉子を使った記事は美味しさもバツグン!夏には伊豆大島名物・明日葉を練り込んだ冷やしたい焼きもオススメです。モチモチ食感がたまらない美味しさですよ。カフェは120年の歴史がある建物を利用しているので情緒たっぷりの佇まいも魅力です。

鵜飼商店

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コロッケの名店です。60円というリーズナブルな価格のコロッケは、注文を受けてから揚げてくれるので熱々でサクサクの美味しさ。どこか懐かしい感じのする味わいが、波浮港の情緒ある町並みと良く合います。

港鮨

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伊豆大島の郷土料理である「べっこう寿司」が食べられるお寿司屋さんです。「べっこう」とは、白身魚の刺し身を唐辛子醤油に漬け込んだもの。そのべっこうを甘めのシャリで握ったのが「べっこう寿司」です。、伊豆大島に来たらぜひ食べて欲しい料理です。

「港鮨」では、他にも地魚の握りや刺し身、伊勢海老天丼などが楽しめます。他のお寿司屋さんではなかなかお目にかかれないような、タカベ・ナワキリなどの珍しいネタもありますよ。

波浮港見晴台

波浮港の高台にある見晴台で、美しい円形の入江や情緒ある町並みを一望することができる絶景スポットです。歌詞に波浮港が出てくる、都はるみのヒット曲「アンコ椿は恋の花」の歌碑やお土産物屋が立ち並ぶ他、ベンチもあるので景色を眺めながらのんびり休憩するのにもぴったりですよ。

「島京梵天」のたい焼きや「鵜飼商店」のコロッケを買って行って、おやつタイムにするのも良さそうですね。写真撮影もお忘れなく!

港の開拓の歴史

波浮港は、もともと838年に南東部の海岸で割れ目噴火が起こった時に形成された火口湖です。当時は「波浮の池」という名で呼ばれていました。その波浮の池が、1703年の小田原地震により発生した津波で一部が決壊することによって海と繋がったのです。

その後、1798年に伊豆七島の案内役をしていた秋廣平六(あきひろへいろく)が、「外交で江戸に向かう他国の船や遠方へ漁業に向かう船たちの中継地として、この波浮の池の跡地が最適だ」と幕府に進言しました。もともと湖だった場所の一部が決壊してできた入江であるので、風や波の影響を受けにくいからです。そして1800年の3月に開拓工事が開始し、5ヶ月後に風待ちの港「波浮港」が完成したのです。

波浮現代美術展も開催

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2011年8月13日~28日、波浮港にあり廃校になった旧波浮小学校をメイン会場とした現代美術展が開催されました。国内外のアーティスト29名が伊豆大島に集い、波浮港にて様々な作品が生み出されたのです。この美術展では作品の展示の他に、作家と話しながら歩く約80分の見学ツアーや、舞踏・映像・写真など様々な内容のワークショップも行われたのです。

伊豆大島観光大全!!